『学力喪失―認知科学による回復への道筋』今井むつみ(岩波新書2024)という本を読みました。ある意味納得、ある意味衝撃的なことが書かれていました。
「乳幼児は驚異的な『学ぶ力』で言語を習得できる。しかし学校では多くの子どもたちが学力不振に陥り、学ぶ意欲を失っている。なぜ子どもたちはもともと持っている『学ぶ力』を、学校で発揮できないのか。『生きた知識』を身につけるにはどうしたらよいのか。躓きの原因を認知科学の知見から明らかにして、回復への希望をひらく。」と扉にあります。
『学力喪失』というのは、幼児期の母語の習得にもっていた学ぶ力が、小学校など以降でなくなることが多いということからのタイトルです。ではなぜなくなるのか。「スキーマ」とか「記号接地」など認知科学の用語が多くでてきて、読み間違っているかもしれませんが、ひと言で言うと「誤った物の見方をしてしまう人が多く、その人にやり方だけ教えても身につかない。特に算数では概念の誤りが多いので、できなくなる子が多い。この誤りは発達とともに知識が増えて修正されていくこともあるが、間違いの塊がどんどん大きくなってしまうこともある。本人は無意識なので自分ではものの見方、概念の捉え方が間違っているかどうかわからない」でしょうか。
例えば「割り算は小さくなる計算」とその子が思い込んでいたら1より小さな小数、分数の割り算はこの子には無意味で、いくら筆算で小数点をずらすとか分数はひっくり返して、等と言っても表面的には計算できるでしょうが、意味のない作業でしかありません。じゃあ割り算が教科書で出てきたときに「小さくなるだけではない」とか「割り算は1あたりといくつ分をだす2つの意味がある」と教えても、それまでにどこかで聞いた知識で無意識に「割り算は小さくなる計算」と捉えていたら別の考えを柔軟に取り入れずに排除してしまうことがある、というんですね。これはやっかいです。
「 『丁寧にわかりやすく説明すれば学び手に理解され、繰り返せば定着する』 は教え手のもつ誤解である。学び手が誤ったスキーマをもって学びに臨んでいないか、それを見極めてスキーマが誤っていれば、それを修正するところから始めないと、『算数文章題が解けない問題』は改善されないのである。」(P52)とあります。「スキーマ」というのは経験から学習者が無意識のうちに作り上げた「知識の塊」、「暗黙の知識」のことだそうです。
私は上記の「誤解」はしていないつもりで、「説明などしなくてもわかる人、自ら学ぶ人になる」ためにパズル道場などの能力開発を取り入れ、量感やイメージ化能力、自分の作戦で粘り強く取り組む力が大切と思っていました。「わからない問題を繰り返し解かせ、繰り返し跳ね返されることは、『わかること』には絶対につながらない」(P28)とありますが、納得です。
算数には時間や分数、割合など壁がたくさんあります。
「9時50分の15分後は何時何分?」と問われて、時間がわかっている子は考えることなく「10時5分」ですが、時間がわかっていない(計算のやり方は知っている)子は「ええっと、50と15足して、65になって、1時間は60分なので・・・」まだ1時間は60分を知っているだけでいいんですかね。時間は秒、分、時間の単位があってしかも60進法、そして時刻と時間があって、会話では「今の時間は?」と時刻の時にも「時間」を使うこともあり「時間」「時間」どの時間か確かに難しいです。
衝撃的なのは「誤った『スキーマ』を修正するのは大変だ。」ということです。
京都のジーニアスたけのこ会というところの「図形学習指導勉強会」に長らく参加しておりまして、そこで「算数に出会う前に正しい数概念を形成しよう」と色板や積木を使った実践方法を学んでいます。童学舎は幼児を対象にしていませんが、小学生になってからでも大丈夫と思っていました。それが、「いったん間違った数概念をもってしまうと上書きされにくい」というのはちょっと驚きです。「君のその見方は違う、こういう風に考えるのだ」と教えたところでなかなか直らないらしいです。大人なら変わりにくいというのはわかりますが、子どもはもっと柔軟だと思っていました。確かソクラテスかプラトンに「人は見たいものしか見ない」的なことがあったか(別の人の言葉かな)と思いますが、人類は2000年以上も変わらないんですね。
しかし、捉え方の誤りは修正されにくい、というだけであり、修正されないというわけではありません。躓きの原因がただ単に言葉の意味を知らないだけなのか、やり方の練習が足りないだけなのか、はたまた概念の把握が間違っているのか、特効薬はないですが、まあイメージする力や経験した感覚の意味を理解していけば誤ったものの捉え方は修正されていくと思います。
この本がすべて正しいかどうかわかりませんし、ものの見方はその人その人の独自なものであっていい、あるべきです。ただ誤った数概念をもっていればなんとか正していきましょう。
母語の習得に関してはだれも誤った概念を持たないらしいです。人間って不思議ですね。