ちょっと前ですが「履正社ラグビー部設立 2025年発足へ指導者募集」という新聞記事がありました。
「仲間とともに考え、課題を解決するといったラグビーが持つ価値は、今の教育改革の流れとフィットしている。学校としても新しい価値を打ち出せるという話になった」からだそうです。
私は高校時代にラグビー部だったのですが本当に素晴らしいスポーツだと思います。ただ「きつい」「汚い」「けがする」がつきもので私も歯が欠けたり、額を何針か縫ったりというけがをしました。それもあってか最近はラグビー人口が減っているようです。母校の北野高校ラグビー部も昨年創部100周年を迎えたのですが15人の部員が集まらないそうです。
2019年ラグビーワールドカップが日本中を熱狂させましたが、私が現役の時もユーミンが「ノーサイド」を歌い、国立競技場が超満員でチケットが手に入らないという人気スポーツでした。ラグビーは見ているだけでも感動があります。(まあ大谷選手の野球でもサッカーでもなんでもスポーツは素晴らしいですが)
当時北野高校はそこそこ強くて全国大会の予選は準々決勝で敗退でした。大阪は2地区だったのでまあベスト16くらいですか。予選も高校3年の11月です。浪人が普通というおおらかな時代だからよかったのでしょうか。現役で合格しよう、という感じの今時では大変ですかね。だけど同期の部員10数名ほとんど浪人ですが一人京都大学に現役で合格しています。文武両道とか切り替えてといいますがやはりできるやつはできるんですね。
橋下徹元大阪市長は私の4学年下なんですが彼らの代に北野高校は全国大会に出場しました。だからやっぱり我々もそこそこ強かったのだと思います。その強さとラグビーブームで勘違いして慶應のラグビー部に入ってしまいました。橋下君が「早稲田のラグビー部は世界が違うと思い大学ではラグビーをしなかった」と言っていたのを何かで読んだことがありますが、全国大会に行った彼でもそうですもんね。また私が入った年の慶應は社会人も破って日本一になった年(1985年度)で合理的で見事な半端ない練習でした。日本一の大学体育会の厳しさ。NHK特集かなんかで「山中湖地獄の合宿」とか「慶早戦(慶應の人は早慶戦とは言わない)まえにメンバー発表で黒黄のジャージを渡されて感極まって涙する」シーンとかが放送されて憧れて入部したのですが、見事に打ち砕かれました。数ヶ月でケツを割って退部したので青春の挫折と言いますか苦い記憶ですが、今となってはいい思い出です。テレビドラマ「半沢直樹」や「VIVANT」の監督の福澤克雄さんも上級生にいらっしゃいました。あちらは逃げ出した1年生坊主など覚えていらっしゃらないでしょうがこちらは強烈な印象で覚えています。
よく言われるようにやらないで後悔するより、やってみてダメでも仕方ないじゃないですか。そのときは大変ですし、ダメなときはへこたれますが、やはりみんなに挑戦する人生、傷だらけの一生を歩んでほしいと思います。
頑張れ北野ラグビー、頑張れ履正社ラグビー